宝塚から伊丹
2019-09-08
帰り道ルートのつもりが…
阪神間の自転車乗りなら誰もが知ってる武庫川サイクリングロード。自宅のある大阪市内から行くとだいたい河口側から走って宝塚に到着するのだが、同じ道を戻るのもつまらないし何か面白い帰りルートが無いかと考えたのがこれ。あと「阪急七福神めぐり」を大阪側から自転車でやると最後が清荒神になるのでその帰り道にも。。
わりと見所が多くて帰り道ルートにしてはちょっと盛り過ぎ感アリアリだけど。
今回のルートはこちら
有馬街道
街道をゆく
宝塚から小浜までは旧街道を通る。宝塚の山側は坂道が多いけど、等高線に沿うようなアップダウンの少ない道が続いているのが旧街道。有馬街道と呼ばれていたらしい。
街道を東へ進むと清荒神の参道と交差する。
あかしやで昼食
今回はこのあたりで昼食を。ちょいとネットで下調べしていた店へと向かう。
清荒神駅近く、異次元空間のような細い商店街が!この奥にある「あかしや」がお目当てのお店。
刺身定食980円。魚屋の隣にある店だからか魚が新鮮でコリコリとした歯ごたえが美味しい。
旧和田家住宅
お腹も満たしたし運転再開、阪急とJRふたつの踏切を越えると右手に遠くを見張らせるところが。このあたりは高台になっているようだ。
先へ進むと右手に小さな分岐路がある。
実はこの右手の細道が元々の有馬街道だったとの事。
左の太いほうの道を行くとすぐの所に白壁の日本家屋がある。
旧和田家住宅といい江戸時代の庄屋の邸宅だったそうで、阪神大震災で建屋が半壊するまで実際に暮らしていたそうな。貴重な民俗文化財なため現在は修復され資料館として公開されている。スタッフの方のお話しが大変興味深く面白かった。
小浜宿
いわし坂
すぐ先に赤い欄干の橋があり、その先が小浜宿。小浜は戦国時代に毫摂寺の寺内町として発展し、江戸時代になって交通の要衝という事から宿場町として栄えたという。
橋から川を覗くと意外と深い谷間になっていて驚く。といっても夏場の今は木々の葉が茂ってでよくわからないので以前撮った写真を貼っておく。
こちらの写真なら谷の深さが分かると思う。
この川は大堀川といい、小浜宿を取り囲むように流れていてその名のとおり寺内町を守る堀としての役割をしている。
橋を渡ると右手に谷間へ下りる細い坂道がある。「いわし坂」と呼ばれ、かつての有馬街道だという。せっかくなので下りてみた。
旧有馬街道は、先ほどの旧和田家住の宅手前で右に逸れて、この谷底を渡りいわし坂を上っていたようだ。
大堀川の少し上流側、ここも切り立った谷間になっている。
小浜宿資料館・玉の井
町のほぼ中心地に資料館があり、中はエアコンが効いてて涼しい。この日は気温36℃もあって非常に暑かったので暫く涼んだ。
小浜宿の古い建物は阪神大震災でほとんどが倒壊し、江戸時代から残るものは一棟だけだとの事。この資料館(倉の左の建物)は震災1年前に完成した現代建築のため被災を逃れ、ここに集められた貴重な民俗資料を失わずに済んだようだ。
スタッフの方から小浜宿のビデオを見ますかと聞かれたのでお願いした。このビデオは震災二日前に撮影されたものだそうで、倒壊前の貴重な映像が残されていた。
資料館は旧山中家住宅の敷地に建てられていた。母屋は震災で倒壊し今は震災後に建てられた家が建っているが、資料館の裏口から庭に入れてもらい「玉の井」という井戸を見学できた。
豊臣秀吉が有馬温泉へ湯治に行く道中、小浜で休憩したときに千利休にこの井戸の水で茶をたてさせたといわれている。
伊丹台地
天神川隧道
小浜宿から京伏見街道方面へ。
小浜宿東門跡。かつては関所があったらしい。奥に見える高速道路の下をくぐる道が旧京伏見街道。安倉上池の淵を通った後、中山寺駅からの旧陸軍引き込み線跡を走る。
トンネルが見えてきた。
引き込み線の線路はこのトンネルを抜けていたようだ。上に上がってみると川が流れてる。天井川トンネルは調べてみるとあちこちにあるようだが、こうして本物を見るとちょっと不思議な光景に見える。
瑞ケ池
天神川沿いの遊歩道は主要な道路とは立体交差になっていて信号もなく走りやすい。
このまま天神川を下ると昆陽池に出るが、今回は瑞ケ池方面へ向かうため途中でそれる。
青空と白雲がきれい。
猪名川河岸段丘
緑ヶ丘公園へ
瑞ケ池公園から緑ヶ丘公園までの緑地帯。こういう道は好き。
緑ヶ丘公園には上池と下池の2つの池があり、下池沿いの道は急な下り坂になり池のたもとに出る。
この辺りが下り坂なのは猪名川の河岸段丘になっているため。下池から国道171号線へ向かうとさらに下っている。
伊丹緑道
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国道171号線を越えて右手を見ると緑地帯が見える。
緑地保全地区と書かれた帯状の緑地は河岸段丘の段丘崖。崖下の裾をなぞるように遊歩道が続いている。
伊丹坂トンネル付近から遊歩道は段丘崖の中腹を通る。
大阪近郊でこんなにはっきりとした段丘崖が見られるのは珍しいと思う。
有岡城(伊丹城)
遊歩道が終わる場所に猪名野神社という神社の裏口があり、少し盛り土をしたようになっている。
ここに有岡城(伊丹城)総構えの「岸の砦」があったとされる場所で、盛り土は砦の土塁跡だという。総構えとは城本体のほか城下町などまわり一体を含めた防御を備えた城の構造のことで、有岡城は総構えの最古の例とされ、実際に織田信長の大軍の攻撃を一年も持ちこたえたほど堅固だった。
JR伊丹駅前にある有岡城跡の石垣。城の東側は鉄道建設のために消滅してしまったが、この城が段丘の縁を利用して建てられたのがわかる。(わかるような写真を撮ってなかった)
おわり
帰り道ルートの探索のつもりが色々寄り道やらをしたもんで12キロほどの道のりを4時間半もかかってしまった。暑かったので疲れた。