のざきまいり 旧寝屋川堤防
のざきまいり
のざきまいりは大東市の野崎観音(慈眼寺)で毎年5月1日から8日までの無縁経の御開帳に本尊十一面観音立像にお参りする行事で、参道には露店がずらりと並びたくさんの人出があります。この行事は元禄時代に始まり古くから人々に親しまれ上方落語の演目にもなっていて、野崎観音に船で向かう人と川の土手を歩く人々とが口喧嘩をする様子を面白おかしく描いています。
その野崎観音へ向かう土手筋を自転車で走ってみようという構想。今回走るのは大和川付け替え工事(1704年)以前から存在したと思われる旧堤防跡、国立国会図書館デジタルコレクション「摂津河内国絵図」引用画像の横に伸びる青い筋が旧寝屋川で青筋の上縁に書かれた赤線がそれに当たります。
国立国会図書館デジタルコレクション「摂津河内国絵図」より部分引用
ルートはこれ
JR京橋駅から旧寝屋川の堤防跡らしき道を探して野崎観音まで走ります。
大地に刻まれた歴史の痕跡を辿る
古堤街道
2023年のGWはあいにく雨予報、いつもなら大型連休には自転車にテントを積んでツーリングに出かけるところだけど今回は自宅から日帰りで色々と走る事にして、そのひとつがこの「のざきまいり」でした。
JR京橋駅南口スタートでまずは古堤街道を走ります。この道は以前に「中国朝市 - 大阪自転車さんぽみち」でも紹介した自転車で行き交う人も多い定番ルート、そのときの写真を貼っておきます。
この道筋だけ周囲よりも少し高くなっていてそれが堤防跡だとわかります。河内平野(大阪平野の上町台地より西側部分)はほぼまっ平なのですが、川の跡や堤防跡に1mほどの微妙な高低差があります。今回の目的はこういった微妙な高低差を見つけることで寝屋川の旧流路を辿るライドになります。
そば処冷泉
昼からスタートだったので京橋で昼食と思ってたのにうっかり走り出してしまい、今里筋あたりで気付いてgoogle map検索し見つけたお店。
蒲生四丁目 そば処冷泉、蕎麦の香りもよくて美味しかった。
古堤街道に戻って先へ進む。
この部分で直進の道と右に大きくカーブする道の二手に分かれていますが、よく見ると直進する道は分岐のところで少し低くなっています。つまり右にカーブする道が旧堤防と思われます。
カーブを曲がった所に祠が、ここも高低差があるのが分かります。
すぐ先の交差点。公差する道が左右とも微妙な坂道になっていますね。
そのまま進むと今の寝屋川にたどり着きます。この歩道側には「旧野崎道の跡」の碑が、これが落語でも語られたのざきまいりの道。
明治期の古地図をみるとこの堤防北側の道が古堤街道となっています。今の寝屋川と古堤街道は東西に真っ直ぐ伸びている人工的につくられた水路で、Wikipediaに以下のようなことが書かれています。
現在は徳庵で西側から古川、東側から五箇井路と六郷井路が合流して西の今福まで直進し、そこから鴫野を通って緩やかに西に曲がりながら大川に注ぐ形になっているが、この直進部分は元々徳庵井路であり、元来の寝屋川は徳庵から稲田本町までJR片町線に沿うように南下して楠根川(現、第二寝屋川)に合流し、今度は南側から長瀬川が合流する放出から北西方の鴫野に至り、現行のルートに繋がるという流れであった。
寝屋川 - Wikipedia より引用
という事で、元来の寝屋川の流路を探すため現在の寝屋川を渡ります。
旧寝屋川堤防跡
寝屋川を渡ってすぐの交差点を右へ。
マンションに沿って走ります。
あまりいい写真を撮れてませんが、クネクネとした細い道を進むと信号のない交差点に出てきます。よく見るとこの交差点部分だけ少し土地が高くなっています。
さらに進むと平野川分水路にぶつかります。高架はJR学研都市線。近くの人道橋を渡り、
対岸を線路沿いに走ります。左側の土地が低い。
放出駅前の道に出ます。道の北側に伸びる商店街を見ると入口が下り坂になっていますね。
駅前の道をさらに進むと写真のような分岐路があって、
よく見ると分岐する方の道が少し土地が高い。つまりここが堤防跡の道と思われます。
新開池
古い民家も残る細道。やはり周囲よりも一段高くなっています。この道、今回のルートマップをご覧いただくと徳庵駅付近で大きくカーブしています。この部分に該当する場所を先ほど部分引用した「摂津河内国絵図」でみてみると、
国立国会図書館デジタルコレクション「摂津河内国絵図」より部分引用
左右に伸びる青筋が当時の寝屋川、中央から右の薄青は大和川付け替え工事以前に存在した新開池、上から新開池に繋がる青筋が古川になります。つまりこの道のカーブはかつて存在した新開池の淵にあたると考えられます。
堤防跡の細道は寝屋川と古川の合流地点付近で広い道へ合流。よくみると広い道の向こう側の土地が低い。
ふたたび古堤街道
寝屋川を渡るとまた古堤街道と合流、このまま堤防沿いを走ります。
途中で中央環状線を越えるのにクネクネするしあまり面白くない道です。
中央環状線を越えて暫く走ると写真のような分岐路が、これが古堤街道すなわち寝屋川の旧堤防になります。
所々古い民家や寺社などもあり旧街道といった雰囲気。道の左右が一段低くなっているのが堤防跡だった証。
すぐ右手を流れる寝屋川の堤防が高いため道路が立体交差になっているのがありがたい。
道端にこんな石碑が。
碑文「記念 弘化二・巳年十二月樋門開鑿(かいさく)」。弘化二年は1845年だそうです。
ちなみに現在その樋門はどうなっているかというと、道の反対側にこんな設備がありました。
水路は途中で暗渠になっていました。
野崎観音
道は住道駅付近まで続いています。
住道の歩道橋を潜り寝屋川沿いを行きます。ホントは旧堤防筋もあるみたいですが。。
観音浜の碑、野崎詣りの屋形船はここまで来ていたようです。
そして「のざいきまいり」。
コロナ過の為3年間露店の出店が無かったそうで今年は4年ぶりの露店という事もあってか物凄い人。とても野崎観音まで行く気にならないので別の日に行った時の写真を貼っておきます。
あとがき
ほぼまっ平な河内平野の中に約300年前の大和川付け替え工事以前から存在していた川の堤防跡が僅かな土地の高低差として残っていて、歴史の深みを感じました。