大阪自転車さんぽみち

ポタリングのルートなんかを記録したいな

北河内水郷めぐり

概要

 大阪平野は古代には上町台地を除いた大部分が海で、川が運ぶ土砂が堆積して徐々に陸地化していきました。陸地化後も上町台地の東側、いわゆる河内平野と呼ばれる地域は土地が低いため広大な湿地帯でした。
 門真市・大東市といった北河内地域では湿地を利用したレンコン栽培がなされ、縦横に水路を設けてそこに浮かべた田舟が交通手段として使われていました。
 それらの風景は近年の宅地化によって急速に失われていき、今ではほとんど見る事ができません。
 その中でも景観保全活動などによって現在も僅かに残る水郷の痕跡を辿り、かつてのこの地域の風景や人々の暮らしを思いめぐらせてみるのが今回のテーマ。


ルートはこれの青色部分

 構想から5年以上、何度も試走するうちに裏道好きがどんどんエスカレートしてルート作った本人ですら地図を見ながら走ってもミスコースするレベルになってしまいましたw
 とんでもない裏道などを通るので地域住民の方々の迷惑にならないように気をつけましょう!



この記事は

の続きになります。

裏道三昧


新田緑道

中国朝市の場所をスタートして中央環状線を渡ります。

ルートを辿ると水路沿いに遊歩道が出現します。

 

ちょっと行くと脇にクルマの通れる道が出てくるのでこっちを走る。

この遊歩道は「新田緑道」というらしいです。全長1kmぐらいでしょうか、そこそこありますね。

軒裏暗渠

遊歩道終端からちょっと先にクルマの通れない道があって、更にその先に。

こんな軒裏の暗渠が!
これ、部外者が通っても良いのでしょうか。。とにかく地域の人の迷惑にならないよう静かに通行。


暗渠を抜けてさらにルートを進むとちょっとややこしそうな所に。。
ここはモチロン白い家の右側の細い路地を進みます!

路地好きにはタマラナイ。

御領のまちなみ

 

さらにルートを進むと菅原神社にたどり着く。

このあたりは御領と呼ばれ景観保全地区になっています。

家から直接水路に降りられるようになっている。今はエアコン室外機置場。

御領水路の隅に小さな小屋があります。

 

この小屋の中に田舟が復元保存されていて、4月から9月の第1・第3日曜日に乗船体験できるそうです。


今から5年前の2015年5月3日にここを訪れたとき、ちょうど乗船体験をしていたときの写真があるので貼っておきます。

GWなのもあって地域の子供たちが代わる代わる乗船体験していました。
安全性のためか本来の田舟よりも幅広なようです。

レンコン栽培

ルートをたどって未舗装路へ。

この地域はまだ所々田畑が残されていて、レンコンを栽培している畑も見る事ができます。
脇には廃棄された田舟が。

今年の8月に撮影の写真。

今回(10月)の同じ場所。
農家の方々がレンコン掘りをしていました。腰ぐらいの深さまで掘っていてすごい重労働でしょうね。



珍しく国道1号線を信号なしに横断できる場所。

田舟の活躍した水路の名残

国道1号線と古川に挟まれた地域は水路のある景観が残されている。

 

かつては生活に欠かせないものだったであろう水路も現代の生活には合わず見捨てられ、つい2年ほど前にはいつ埋められててもおかしくないようなドブのようになってたけど、最近になって整備され、こういった他にない景観はきっと地域の誇りとなるでしょう。

 

少し大きな水路には田舟が浮かんでいます。といっても中に水が溜まっていてもう何年も使われていない様子。

バッタリ

狭い路地を抜けるとセブンイレブンが見えます。

 

セブンイレブンの脇の小さな水路にバッタリが再現されています。

バッタリとは、水路に高低差のある場所で、水面の高い側と低い側2カ所に設けた扉の間に舟を入れて片方ずつ開け閉めする事で水面の高低差を調整するいわゆる閘門の事。
碑文によるとここにあるものは2009年に再建されたものだとか。

茨田堤(まんだのつつみ)

ルートを進み大和田駅前へ続く遊歩道を通る。

 

大和田駅の北側へ回り込むと堤根神社があります。

8月2日にもここを走ったのですが、ちょうどこの神社の茨田堤祭の日だったのにコロナの影響でこんな事に。。

はやく以前みたいにお祭りができるようになって欲しいですね。


社殿の奥に行くと「茨田堤(まんだのつつみ)」の碑があります。
日本書紀に仁徳天皇の命によってつくられたとされていて、総延長20kmに及ぶ当時としては最新技術を駆使した空前の土木工事だったようです。

弥治右衛門樋跡

茨田堤の裏手から古川を渡って西へ進むと暗渠と思われる遊歩道を見つけられる。

 

このタイル舗装デコボコしすぎて自転車で通ると脳にイヤな振動が伝わるよ。

遊歩道を入ってすぐのところに「弥治右衛門樋跡」碑があります。隣に公園の入口に入ってみると大きな石碑が。

 

詳しくは説明文を読んでいただくとして、要は水はけの悪いこの地にお上に無断で排水樋を作って処罰され、地域の人たちは皆の為に犠牲になった彼を偲んで碑を建てたとか。
 江戸期以前の治水の事は時々調べたりするけど、たとえばこの場所の水はけ良くすると下流側の水はけが悪化したりと、あちらを立てればこちらが立たずみたいな事例がたくさんあるようで、治水の難しさを感じさせます。

ひなだ園地

元の遊歩道を進む。

大日駅の近くに旧い民家が残されていて、道路との間にちょっとだけ広場があります。

 


「ひなだ園地」、詳しくは碑文をどうぞ。

おわりに

と、ざっくりと北河内地域の水郷の名残を辿ってみました。写真と文章だけではなかなか伝わらない面もあり、自身の勉強不足で至らない&気付かないものも多々あると思われます。
今後も少しずつでもリサーチして更新できたらと思います。

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